11/24(金)
本気をだせば、本気出しておけば…というがどこまでを本気と呼ぶのか。
それ以外は考えず、ただひたすらに没頭する瞬間、これが本気のイメージだ。だけど、大人になるにつれてそれだけではいけなくなってくる。「捨てられないもの」が増えてくるからだ。いや、捨てられないものというよりは、ずっと持っていたらいつの間にか自分の一部になっているような価値観とか、物とか人間関係とか…。
本気を出せなくなったな、と思うようになるのは捨てられないものが増えたからなのだと思う。要はうまいことやる、ということが必要になるわけだ。
自分はうまいことやれているだろうか…と考えるがそれは後からしかわからないことなので結局意味がない。
ただ、意味がないことを考えてうまいことやろうとしている状態が一番うまいことやれているのではないだろうか。
のめりこみすぎず、やらなさすぎず、というのは一番充実感を感じにくいもどかしい状態だが、それが「中道」や「中庸」といった状態なのだろう。
なにごともまんべんなく、少しずつふやしていくのが結局はよい、ということなんだけど、この感覚を人に伝えるのは難しい。
だから禅問答のような答えのない問いが生まれたのではないだろうか。問答とはその通り、問であり、答えでもあるのだ。意味がないことを考え続ける、そのプロセスの中にこそ意味は生まれてくるのだ。